8月10日(土)、
川口総合文化センター・リリア メインホールにて、
神谷浩史さん、井上和彦さん、
堀江一眞さん、佐藤利奈さん、島本須美さんが登壇し、
「劇場版 夏目友人帳 ~うつせみに結ぶ~」
Blu-ray&DVD発売記念イベントが開催されました。
トークコーナーで使用させていただくために、
緑川ゆき先生、大森貴弘総監督、伊藤秀樹監督に、
劇場版についてのアンケートに
お答えいただいていたのですが、
時間の都合上イベント内では全てをご紹介できず、
イベントに来られなかった方にも
ぜひお楽しみいただきたく、
お答えいただきました全ての回答を大公開いたします!
「分裂に驚いて騒ぎ合う3匹」「寄り添って眠る2匹」「夏目の手の上でケンカを始める2匹」などなど。
ニャンコ先生の分裂によって先生同士がからむ、という奇妙で可愛らしいシーンがたくさん見られて、ニコニコが止まりませんでした。
分裂したニャンコが次々姿を消し、最後の一匹の姿まで見失って夏目が動揺しながら部屋を探すシーン。
夏目は日頃放任というか、ニャンコ先生に対してドライでいようとする面もあるので、こんなふうにうろたえてしまうのも、見つけたニャンコをひたすらぎゅっとするのも、珍しくて愛おしさがこみあげました。
脚本の何稿目かで一旦削られており、大好きな場面なので戻してくださるようお願いしたシーンでもあります。
監修という体の様々なリクエストを、脚本の村井さんや監督方はご苦労の上、たくさん汲んでくださいました。本当に嬉しかったです。
工房で多軌に切り絵を教えている容莉枝さんに、窓の外から椋雄さんの姿のホノカゲが、「いってきます、母さん」と薄いカーテン越しに声をかけ、「いってらっしゃい椋雄」と容莉枝さんが答えるところ。
容莉枝さんにとっての、いつもの何げない「いってらっしゃい」と、ホノカゲが想いを込めた最後の「いってきます」が交差する、この静かなシーンにとても胸をうたれます。
思えば、椋雄になったホノカゲを、初めて容莉枝さんが迎えた時の言葉は、「おかえりなさい」でしたから、なおさらです。
好きなシーンもなのですが、好きな場所もたくさんありました。
容莉枝さんの工房がとても素敵でした。この作品の象徴のひとつでもある、美しい切り絵に囲まれた作業場は、綺麗で明るくて落ちついていて、見ているだけで居心地がよく、私もこんな場所でマンガを描いてみたいな、と思ってしまいました。
それから、お気に入りや印象的だった場面について考えはじめると、必ずその時に流れていた音楽も、同時によみがえります。
駆けていくレイコともんもんぼう、幼い頃結城君と訪れた滝、ホノカゲが語る過去や容莉枝さんとの出会い、ホノカゲが旅立った空と舞う光の美しさ……。様々なシーンが吉森さんの音楽と共にあることで、より鮮やかに映え、より深く沁み入ってきます。
夕暮れ時、多軌がチビニャンコをみつけて追いかけていくところがすごく素敵でした。
最初はとにかくちっちゃいニャンコの動きが可愛いくて、笑って見ているんですけど、次第に、どこか知らない場所へ誘いこまれていくような気分になりました。帰り道の女の子の日常を、横切っていく奇妙なニャンコ、その姿を見失いそうになる夕暮れ、不思議な風。昼から夜への、そして日常から非日常へ境界を見ているようで、可愛いのに、美しいのに、怖さや不安もかきたてられる演出が、印象的でした。
椋雄さんが容莉枝さんとの繋がりを夏目と田沼に話してくれるシーンの流れが大好きです。
川のさざ波がやがて大きく緩やかにうねり始めるような音楽と、その中で語る椋雄さんの優しく重みのある声もまるで楽器のように川の流れのひとつになって、観ているこちらを飲み込んでいくようでとても惹かれました。
きっと少し前の夏目では気持ちをうまく整理出来なかったかもしれない関係の結城くんと笑いあえるようになり、それを見守ってくれる先生との関係にもグッときました。そこへ優しく美しく染み込んでくる「remember」となんてんさまの樹が重なるエンディングも胸が熱くなりました。
「あれは障りなどではなかったのかもしれないな」
夏目が出会った椋雄さんは、姿を借りた偽物の椋雄でした。ですが、親子が互いを想いやり、結んだ絆は決して偽物でなく、あたたかく過ごした時間は本物だったと、伝わってくるセリフだと思いました。
共に過ごしたひと時は、ホノカゲにとって、他人になりかわってしまう自分の辛いさだめを、「障りではなかった」と思えるほどのものでした。そして、同じ時間が容莉枝さんも確かに支えたことや、母としての彼女の強さを、心配しながらも、信じられるようになったのだと思います。
自分が去ることで、容莉枝さんに戻る本物の椋雄の記憶、それは息子を失った深い悲しみですが、同じく深い、唯一無二の愛情です。それを、返さなくては、返しても大丈夫だと感じられるようになり、旅立っていったホノカゲの想いも、また本物の愛情なのだと思います。
ホノカゲを演じてくださった高良さんの、にじむようなお声が、本当にじわじわと沁み入ってくるセリフでした。
ご質問の趣旨とは違ってしまいますが…
セリフと言えばまだ脚本だけ拝見していた頃、分裂したニャンコ先生が初めはしゃべれないことが、少し心配でした。せっかくの劇場版で大好きな先生の声をあまり聞けなかったらどうしようと思っていたのです。でも実際には、ご覧いただいたとおり、可愛いさも、にぎやかさも三倍だったので、すごく嬉しかったです。
夏目に関しては、普通の会話やこぼれるモノローグなど、何げないセリフの時から、神谷さんのあててくださる声の調子に、感動してしまいました。アニメ化当初、自分の居場所が定まっていない夏目に、あててくださった少し硬めなお声がぴったりだったのですが、劇場版の今の夏目の声には、すっと出てくる自然なやわらかさがあって、ここが自分の居場所だと、信じられるようになった夏目の心境が、言葉以前の声からも伝わってきて、すごいな、ありがたいな、と感激でした。
漫画では雑誌で読みやすいようにほぼ一話完結の繰り返しというスタイルなので、なかなか一話に大勢を出せないのですが、この劇場版ではたくさんのレギュラー陣を登場させてくださいました。
藤原家や友人達、犬の会や祓い屋…、それぞれ立場や関わり方の違う面々ですが、夏目にとって大切な存在である皆が、こうして確かにまわりにいることを実感できるお話でもあって、とても贅沢な思いでした。
椋雄(ホノカゲ)が去った時に、容莉枝が涙をこぼすカットです。
このシーンは、容莉枝は何事か感じてはいるけど、自分の心に起こっているその変化が何かを、まだ掴めていません。
椋雄(ホノカゲ)が去った事は、去った事自体も認識出来なければ、彼の記憶も消えている筈です。そして、改めて思い起こされるのは、亡くなった実の息子の事なのですが、この記憶もすぐに襲っては来ない。
それこそがホノカゲが残して行った癒やしで、後のシーンの夏目の感慨に繋がってくる。
だから、ここでの容莉枝は悲しい表情でもダメだし、もちろん笑顔でもいけないし苦しさでもない。ただ、何かを感じて心よりも身体が、悲しみを受け止めて意図せず涙がこぼれた、と言う風に描きたかった。そしてその後で、窓から去って行くホノカゲの綿毛を見ながら、何かを感じていたけれど、夏目に対してはこともなげに振る舞うシーンまで、起こって行ったであろう容莉枝の心の変化が、とてもゆっくり起こっているのだ、と多くを言葉では語らずに、観た人それぞれが感じて頂けるように見せたかった。
感情の込められる台詞もないし、演じられた島本さんも難しかったと思います。何よりこのシーンを通して描いたアニメーターにも、本当に難しい絵を要求する事になりました。どちらもいい仕事をして下さり、思い通りのシーンに出来ました。
笹田の演説の最後、要約すると「記憶は徐々に薄れて消えてしまうかもしれない。けれど、その体験が自らのあり方を変え、その変化が小さなさざ波となって広がって行く。それが世界の仕組みだと気付いた」
村井さんらしい含蓄の有る言葉だと思います。これが前半に語られ、映画全体を包み込む言葉として響いている事が、一応は狙ってはいたものの、効果的に機能したのでは、と完成後に実感出来ました。
冒頭の質問でも挙げた容莉枝のシーンや、椋雄の昔語り、他にも色々あるけれど、ここは苦労した和彦さんの3ニャンコに(笑)
台詞も、単語のきれいな切れ目じゃないような、変な所で区切るようにシナリオを作っていて(僕がそう提案したのですが……)、声を変えながら尚且つ変な間尺で話さなくてはならなかったのに、当然のようにニャンコらしさは失わず、しっかり演じてらして、結構時間がかかるかも、と心配していたのですが、いつものようにテイク数少なくOKになって、今さらのように「熟練の技!」と感動しました。
台詞のない所のアドリブも良くて、特に1号が消えて2号3号が座布団に寄り添って寝ようとする辺りなど、絵の可愛さも相まって萌え死にそうでした。
予告にも出た、自転車を引く椋雄と夏目が並んで歩くカット
大森総監督から鬼のリテイクが出まくって、椋雄の歩きを4回くらい原画からやり直しました。
自転車を引いて歩く映画は二度とやるまいと思った。
始めの頃だったので、気合が入りました。
レイコ「私は、誰かに覚えていてほしいなんて思わないわ」
脚本の村井さんによる、レイコの孤独と映画の主題に鋭く迫った重いセリフだと思います。
全編に渡り皆さんそれぞれ素晴らしくて決めにくいですが、一つだけならラストシーンの夏目。
神谷さんによる「ありがとう」
演じにくいニュアンスになっちゃったかな?
とヒヤヒヤしていたのですが、期待にドンピシャですごく嬉しかったのを覚えています。